PR

好きじゃない。でも嫌いとも言い切れない…そんな父の介護が始まった

介護
記事内に広告が含まれています。

こんにちは、あさのひかりです。

70代後半の父は、いま都内の病院に入院しています。要介護4。
自力では歩けません。その手続きや支払いのあれこれを、兄と私で分担してやっています。

最初に正直に書きます。私は、父が好きではありません。

どんな父だったか

子どもの頃から、すぐ手が出る人でした。稼ぎは悪いのに、家事も育児もまったくしない。
そして、すぐキレる。

父の稼ぎが足りなくて、母が小料理屋を始めたら、今度はそれにやきもちを焼いて機嫌が悪くなる。
母が同窓会に行くと言えばキレる。
私が英語塾の帰りに遅くなったら、心配するでも迎えに来るでもなく、塾にクレームの電話を入れる(結局、送迎してくれたのは母でした)。
兄がバイクの免許を取ったときも、本人にではなく母にキレていました。(危ないだろう、息子を殺すつもりか…!と)

キレるくせに、何もしない。

仕事も家のことも全部担っていたのは母でした。その母は、私が23歳のとき、49歳で肺がんで亡くなりました。見つかった時点でもう転移していて、治療もできないまま、3ヶ月でした。

母は自己犠牲の塊のような人でした。
それでがんになってしまったのでは——医学的には関係ないと頭ではわかっていても、当時はそう思えてしかたありませんでした。親孝行もできずじまいだったことを、今でも悔やんでいます。

ただ、ひとつだけ救いがあります。あの父が、母の最期の3ヶ月だけは、びっくりするくらい献身的に母を支えたこと。私が父を単純な悪者にしきれないのは、あれを見てしまったからだと思います。

それだけの人でもない、から難しい

思い返せば、頼めば車で送迎してくれることもありました。
結婚前に引越しをしたときは手伝いに来てくれたし、結婚式では、ちゃんと喜んでいました。

ずっとひどい人なら、割り切れたと思うんです。でも、ときどき普通の父親の顔をする。だから割り切れない。

がんになった私と、連絡が来なくなった父

数年前、私は卵巣がんになりました。そのとき父はすでに一人暮らしがだめになって施設に入っていて、私は父に報告して、こう伝えました。「お父さんのケアは、もうできないよ」と。

それきり、父からの連絡は一切なくなりました。私からもしていません。がんの治療をしながら、どこかでほっとした自分がいました。でも少しさみしかったような気がします。
私に利用価値がなくなったから、もう用無しなのかと。

それでも介護は、ある日突然やってくる

でも、介護って、こちらの感情の整理を待ってくれないんですよね。
父は施設で暮らし、兄が介護の窓口になってくれていました。
しかし父の貯金が底をつきました。
年金だけでは施設代に足りず、さすがに兄一人に背負わせるわけにもいかず…兄妹でしぶしぶ分担することになりました。
そして今年、肺炎で入院。施設は退去になり、次の行き先探し、行政の手続き、費用の工面——好きとか嫌いとか関係なく、電話は鳴るし、書類の期限はやってきます。

親の介護は「する・しない」を選ぶ前に、現実として降ってくる。これは実際に経験するまで、わかりませんでした。

「娘さんは美人だって、自慢していましたよ」

この前、入院中の父のところに行ったときのことです。病棟の看護師さんに、こう言われました。

「娘さんは美人だって、自慢していましたよ」

連絡ひとつ寄こさなかった父が、病院のベッドの上で、私の自慢をしていたらしい。
それを聞いたときの気持ちを、私はまだうまく言葉にできません。

好きではない。でも、嫌いとも言えない。

普通に優しくて、仲が良くて、健康な両親のもとに生まれたかったな、という気持ちは、正直いまでもあります。
ある講座で「親なんて、何をしたって子どもに恨まれるものよ」という言葉を聞いて、たしかにそうかもしれないと少し楽になり、いやでもやっぱり納得いかないな、とも思っています。たぶん、この行ったり来たりごと抱えていくんだと思います。

同じ気持ちで介護している人へ

親のことが好きじゃないまま、それでも介護をしている人は、たぶん日本中にたくさんいます。介護の情報を検索すると、仲の良い家族の美談ばかり出てきて、そのたびにちょっと疲れる。そんな人に「ここにも同じような人がいるよ」と思ってもらえたらと、この記録を書くことにしました。

これから、介護のお金のリアル(年金で足りるのか問題)、生活保護の申請、施設探しでわかったことなど、渦中でわかったことを順番に書いていきます。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました